地球が自分で作る永遠の財産 それが釧路湿原
アイヌの人々が神様と呼ぶ鳥がいます。タンチョウ。羽を広げれば2mを超える、日本最大の美しい鳥です。
日本にタンチョウがただ1カ所、生きながらえた土地があります。釧路湿原です。北海道の東部。釧路市の背後に広がるこの大湿原。
南北に36km、そして東西17km、実に20000ヘクタールという日本最大の湿原です。
この湿原には海抜0mになんと高山植物の大群落があります。内陸30キロの湿原にトビウオなど海の魚がいます。
この大自然を感じるために釧路には年間250万人が訪れます。
命の揺り篭
この湿原は1987年に釧路湿原国立公園に指定され開発は厳しく制限されています。
そして自然再生事業としてかつて開発された湿原上流部の直線化された釧路川流路を再蛇行化させ自然環境の復元を図る事業や、
達古武地域において森林、湿原、河川、湖沼と連続的につながる生態系の復元を図る事業が行われています。
この湿原は世界でも例がない20年以上にわたる住民の心をひとつにした保護運動によって守られた動植物の揺りかごなのです。
かつて33羽まで少なくなったアイヌの神様は、いま、1000羽を超えました。
自然が教えてくれたこと
湿原に土地を持つ農民達の中でこの保護運動に重要な役割を果たした酪農家が鶴居村にいます。
中尾牧場の中尾幹夫さんです。
かつて行政は「日本列島改造論」の中で北海道を食料基地と位置付け、根釧台地の森林を牧草地に、
釧路湿原も牧草地にと開拓パイロット事業(=開パ)を推し進めます。
この流れに乗って近代化と規模の拡大を目指した中尾さんの気持ちを湿原の保護に向けたのは彼の大好きな鳥 アオサギでした。
国立公園化に反対だったある日、湿原で大事件が起きます。ごみ処理場から出た火が、湿原の枯れ草に燃え移つりまたたく間に大火災となりました。
炎は湿原の1割、2000ヘクタールを焼き、
中尾さんたちの集落に近づきます。地元消防団だった中尾さんは真っ先に現場を着くと、竹箒で炎に立ち向かいました。
そのとき、衝撃の光景が飛び込んできたのです。
燃えさかる木の上に無数のアオサギの巣があり、親鳥は煙にまかれても、決してその場を離れようとしなかったのです。
「じっと、アオサギは巣から離れないで、たぶん卵をまあ守るつもりで、抱いてたんだと思うんですよね。自然と、やっぱりそのここはみんなで守ってやるべという。」
中尾さんたちは、丸二日夜を徹し、菷を振り巣は守られた。
直後、中尾たちは、北海道庁を訪ね、言いいました。「国立公園に賛成します。」
未来を目指して
そして、中尾さんは規模拡大を諦め、放牧中心の環境に優しい酪農を模索し始めます。
目指したのは輸入飼料を控えて放牧を中心にした低コストで環境にやさしい酪農
そして中尾さんはいます。「これからも釧路湿原とともにうまく酪農やってけば、やっていけるもんであればずっと酪農やっていきたいですけど。
牛を飼っていきたい。時々タンチョウ鶴も眺めながらやっていきたいなと思います。」
「中尾牧場は釧路から来ると鶴居村最初の「駅」です。機関車の中が休憩所になっていますので、 ご自由に休憩して行ってください。
仕事が忙しく、案内など出来ませんが牧場の中の見学は自由です。 もし暇そうだったら気軽に声をかけてください。
牛を見ながらひとときでもお話ししましょう」